東京地方裁判所 平成元年(行ウ)223号 判決 1992年5月18日
原告
伊藤實宣
被告
上野労働基準監督署長畠中士
右指定代理人
松本智
同
伊能利男
同
中村公信
同
佐藤親弘
同
村上久恵
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が昭和五九年八月三一日付けでした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
第二事案の概要
本件事案の概要は次のとおりであり、この事実については当事者間に争いがない。
一 (原告の業務歴と本件疾病の発症)
原告(昭和七年一一月二四日生)は、昭和二七年八月から平成二年一二月一五日に定年退職するまで、プラチナ萬年筆株式会社の従業員であり、昭和五二年三月に組立課(以下単に「職場」という。)に配置換えとなって以来、ボールペン等の組立、修理、検査等の作業を行う業務に従事していた。
原告は、同社に勤務中の昭和五八年一二月一日午前、左肩の腕の付け根の部分が痛みだし左上腕が痺れてきて作業不能になり早退した。その後同月五日、原告は、浦和民主診療所で受診し、「左上腕二頭筋長頭腱々炎」と診断され、診療を受け(以下これを「本件疾病」という)、医師から休業するように言われて仕事を休んだ。
二(療養補償給付不支給決定等)
原告は、被告に対し、本件疾病は業務に起因して発症したものであるとして労働者災害補償保険法により療養補償給付たる療養の費用の請求をしたところ、被告は、昭和五九年八月三一日付けで、原告に対し、本件疾病は労働基準法施行規則三五条別表第一の二に定める疾病とは認められないとして業務起因性を否定し、療養補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をして原告に通知した。
原告は、本件処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、昭和六一年一〇月三一日付けで右審査請求を棄却され、さらに、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、平成元年七月三一日付けで右再審査請求を棄却された。
第三争点
本件の中心的争点は、原告の従事していた業務と原告の発症との間に相当因果関係が認められるかどうかであり、具体的には、原告の就いていた業務が他の同種作業従事者の業務と比較して過重であったといえるか、業務と本件疾病発症との間の因果関係が医学的にも相当なものとして裏付けられ得るかどうかである。
これに関し、当事者間に争いのない事実と双方の主張の具体的対立点は次のとおりである。
一(業務の過重性の存否について)
1(本件疾病発症前一か月間の業務に関して)
(一) 原告及び原告と同種作業に従事していた同僚の作業数量に関し、次の事実は当事者間に争いがない。
原告は、本件疾病発症前一か月間である昭和五八年一一月中、Bラインと呼ばれる商品(品番三三三〇)のクリップ接着(なお、特注クリップ接着は、マーク及び色は違うが、工程は同じBライン〔品番三三三〇〕のクリップ接着の作業である。)、天ビス接着等の組立作業を行っていた。同時期に職場で原告とまったく同一の作業をしていた者はないが、同じ商品のクリップ接着と天ビス接着等を含む原告と最も近似する作業をしていた者に徳田倉三と高橋利男がある。この時期の出勤日数、原告は一八日間であり、徳田と高橋はいずれも二二日間であった。原告と徳田及び高橋に作業の内容と数量は、それぞれ次のとおりである。
(1) 原告の作業内容と争いのない数量
クリップ接着 (数量については一万二四〇〇個〔原告〕か一万二〇〇〇個〔被告〕か争いがある。)
からぶき外観検査 一〇〇〇個
天ビス接着 四六〇〇個
特注クリップ接着 一四〇〇個
修理 五個
なお、クリップ接着に関し、原告の作業日報(<証拠略>)には同月二六日の「備考欄」に「約四〇〇」という数字が追加記載されている。
(2) 徳田倉三の作業の内容と数量
クリップ接着 一万二八二〇個
天ビス接着 一六〇〇個
サヤネジバリ取り 二〇〇〇個
中ザヤ圧入 三〇〇〇個
胴サヤ嵌合 五〇〇個
シール貼り 一〇〇〇個
シリコンふき 五〇〇個
からふき 五〇〇個
ノック検査 五〇〇個
サヤネジリーマ通し 一四〇〇個
(合計の個数 二万三八二〇個)
(3) 高橋利男の作業の内容と数量
クリップ接着 一万一八〇〇個
天ビス接着 二六〇〇個
リーマ通し 三万五三〇〇個
クリップ天ビス圧入接着 六〇〇個
圧入 一〇〇〇個
天ビス接着、雑用 三時間一〇分
(時間で表示されているものを除く合計の個数 五万一三〇〇個)
(二) 原告の作業数量及び原告と同僚との比較に関して、原被告の主張の具体的対立点は次のとおりである。
(原告の主張)
(1) 原告の作業日報の「備考欄」の一一月二六日の「約四〇〇」は、原告が実際に行った作業に基づいて記載したものであるからクリップ接着の数量に算入されるべきである。
(2) 被告が本件疾病発症前一か月間である昭和五八年一一月中に行っていたBラインという商品のクリップ接着と天ビス接着等の作業は、左腕について概ね同一の動作を繰り返す作業である。本件疾病発症についてとくに問題とすべきは、このクリップ接着と天ビス接着の作業であり、その作業数量を同僚と比較すると、原告の作業量は次のとおり過重であった。
すなわち、同年一一月中のクリップ接着と天ビス接着の作業数量は、原告が合計一万八四〇〇個(クリップ接着一万三八〇〇個、天ビス接着四六〇〇個)、徳田倉三が合計一万四四二〇個(クリップ接着一万二八二〇個、天ビス接着一六〇〇個)、高橋利男が合計一万四四〇〇個(クリップ接着一万一八〇〇個、天ビス接着二六〇〇個)であった。
また、一日平均の作業数量で比較すると、原告は出勤日数一八日間で合計一万八四〇〇個の作業をしたから一日当たり約一〇二二個の作業をしていたことになる。これに対し、徳田倉三と高橋利男については、いずれも出勤二二日間で、徳田は合計一万四四二〇個、高橋は合計一万四四〇〇個であったから、徳田も高橋も一日当たり約六五五個である。
したがって、同僚より原告の方が一か月間で処理した個数は一〇パーセント以上多く、また、一日の業務量では二〇パーセント以上多いのであって、原告の業務量が過重であったことは明らかである。
(3) 被告は、各種作業によって処理した個数の合計量で単純に比較して、原告の業務量が同僚のそれより少ないと主張するが、作業工程には様々なものがあり、作業を行った個数の合計値のみで一律に対比するのでは、腕、肩に対する負荷の多寡を比較することはできない。
(4) 原告には発症部位の負担について同僚より負荷の大きい要因があった。
すなわち、徳田倉三は左利きで左腕の動きが自然で負担が少なく、高橋利男は右利きであるが、作業方法として一旦右手でサヤを作業台の上に並べてしまい、左手で取り易くしていた。しかし、この方法ではサヤに傷がつき易いため、作業についての指示に従っていないことになる。これに対して、原告は、かつての労災事故による後遺障害のため、左の示指の先端が硬く、肉が薄くなっているため、取り落とすなどしてサヤに傷をつけたりしないように容器の小さい穴から確実にサヤを取り出すために、左手を容器に添わせず、その上から摘むように取り出していたので、肘が上った不自然な姿勢を余儀なくされていた。このような左腕の不自然な姿勢で左腕を挙上して、連日多量の作業を繰り返していたことが本件の発症の主たる原因である。
(被告の主張)
(1) 作業日報の「備考欄」の一一月二六日の「約四〇〇」の記載は原資料(<証拠略>)にはなく、後になって記載されたものであるから算入すべきではない。
(2) 原告の作業量と同僚のそれを比較するに、徳田倉三及び高橋利男は、原告とまったく同一の業務に従事していたわけではなく、各種の作業を行っていたのであるから、クリップ接着と天ビス接着だけ取り出して、その合計作業量及び一日当たり作業量のみを比較することには合理性がなく、各種作業の全数量で比較すべきである。そうすると、原告の作業数量は合計一万九〇〇五個であるのに対して、徳田の作業量は合計二万三八二〇個であり、高橋の作業数量は合計五万一三〇〇個なのであるから、原告の作業数量はかなり少ない。徳田及び高橋の作業量の平均値は三万七五六〇個に達しており、原告の作業量はそのほぼ二分の一にすぎない。
また、右の作業に費やした時間をみると、各人の作業日報によれば、原告は一三六時間三〇分、徳田は一八三時間五〇分、高橋は一八四時間四〇分であり、原告の作業時間の方が少ない。
(3) 原告同様の作業をする者は、一旦右手でサヤを作業台の上に並べて左手で取り易くするなど、各自作業の方法を工夫していたものであり、原告がその主張のように不自然な姿勢を連日繰り返して作業していたとは考えられない。
2(本件疾病発症までのさらに長期間の業務に関して)
右1よりも長い期間をとった業務量の比較に関して、原被告は次のように主張する。
(原告の主張)
本件疾病発症前一年間でみても、原告の業務量は、同僚よりも過重であった。
(一) 被告は、各人の単純な作業個数をもとに作業量を比較して原告の業務量が少なかったと主張するが、このような比較方法では、腕、肩に対する負荷の多寡を比較することはできない。
すなわち、被告が作成した作業量の比較表(<証拠略>)は、原告、栗原建蔵及び徳田倉三がそれぞれに記載した作業日報の記載に基づいて集計されたものであるが、右作業日報の記載方法は必ずしも各人同じではなく、記載方法が統一されているわけではないから、単純に個数を比較することは適当でない。しかも、栗原の場合は、作業の内容が自動機械による極端に軽い作業が多く含まれているために処理数が多くなっているだけである。さらに、動作の異なる他の作業を間に入れることによって、疲れた筋肉等が休まることはよく知られたことであるが、前記の同僚らは動作の異なる作業を間に入れて作業をし、筋肉の疲労を休めながら作業をしていたのに対して、原告は、ほぼ同一の左腕の動作を連日繰り返していた。このような意味で、仮に作業の総量が同じ場合であっても、右同僚らの場合と原告の場合とでは、前記作業による負荷の程度が異なっていたものである。
したがって、右同僚らの作業による負荷と原告の作業による負荷とを各作業日報記載の数量だけで単純に比較するのでは、作業による腕、肩に対する負荷の多寡を比較することはできない。
(二) 原告の場合、作業日報に「組立」と記載したときは、多数の工程を含む組立作業を一括しているものであるが、たとえば、原告が担当したことの多い最も複雑でパーツの多いZ製品(品番二三〇〇、二三〇三、二三〇四、二三〇五、三三〇〇、三三〇三、三三〇四、三三〇五、三三〇六、二三〇一、三三〇一、三四〇一、三四〇二)のうち品番三三〇三の「組立」の作業工程は別紙(略)(一)のとおりである。この組立作業は大きく分類しても二〇工程以上あり、一動作で一工程が済む簡単な作業と比較すると少なくとも五〇動作、五〇工程以上に相当する。同じZ製品の組立作業にも品番によって工程数の多いものと少ないものがあるので、控えめにその平均をとって「組立」作業を一〇工程としてみると、「返品修理」(その工程は別紙(一)のとおり)は五工程に相当し、他の作業は一工程以下の比重しかない。そこで、原告と栗原の業務量を前記比較表(<証拠略>)に基づいて、「工程」に換算して比較すると別紙(一)のとおり、原告の本件以前一年間の業務量(工程数)は一〇二万〇一七〇(工程)となり、他方、栗原の同時期の業務量(工程数)は六八万六三七三(工程)となる。
(三) このようにみれば、原告の業務量の方がはるかに多く、過重であったことは明白であって、労働災害に関する被告における基準を十分満たしている。
(被告の主張)
(一) 本件疾病発症以前である昭和五八年五月から同年一〇月の六か月間における原告と栗原建蔵及び徳田倉三の作業数量によって業務量を比較してみると、原告は九万三六〇六個であるのに対して、栗原建蔵及び徳田倉三の平均値は二五万五三四〇個であって、原告の業務量は右平均値の三六・六パーセントにすぎない。
(二) 原告は、原告の行った「組立」作業はとくにZ製品に多く、Z製品はパーツも多く、それについての作業が複雑で難度が高いと主張し、そのうち品番三三〇三の「組立」の作業工程について具体的に縷々主張し、原告の場合作業日報に記載した「組立」とは、一つの品種の組立の概ね全工程を指すものであるとしているが、そもそも、原告が主として担当していた作業内容がZ製品の概ね全工程であったとすると、次のとおり大きな予盾があることになる。すなわち、原告が従事した「組立」作業の多い昭和五七年三月は稼働日数二三日で一万三二〇〇個を、同年八月は稼働日数一三日で八五〇〇個をそれぞれ処理したところ、これらがすべてZ製品であったとすれば、Z製品の標準加工時間は一〇〇〇本当たり一五〇ないし一六〇時間、すなわち一本あたり九ないし九・六分とされていたのであるから、原告の作業速度が標準程度であったと仮定すると、同年三月には少なくとも一九八〇時間(九〔分〕×一万三二〇〇÷六〇=一九八〇〔時間〕)を要したことになり、これでは稼働日一日当たり八六・〇八時間(一九八〇〔時間〕÷二三=八六・〇八〔時間〕)稼働したことになってしまい、また、同年八月には少なくとも一二七五時間(九〔分〕×八五〇〇÷六〇=一二七五〔時間〕)を要したことになり、これでは稼働日一日当たり九八・〇七時間(一二七五〔時間〕÷一三=九八・〇七〔時間〕)稼働したことになってしまう。しかし、実際にはこのような一日の稼働時間はあり得ないから、原告の行った「組立」が主としてZ製品の全工程であったとは考えられない。また、およそ「組立」の作業は、仕事の内容としては難しいものではなく、特別な技術も要しない仕事であるとされている。さらに、原告が主としてZ製品を扱っていた時期があったとしても、そして、その部分が多く、作業が複雑で難度が高いとしても、その組立作業における動作が、部品数が少ない難度の低いものの組立作業と格別異なるとは考えられない。また、Z製品の部品数が多く、その作業難度が高かったのであれば、かえって作業に時間を要することになるから、部品数の少ないものや難度の低いものに比べて同一時間内の作業量は当然少なかったはずである。
二(医師らの診断等について)
1 (証拠略)によると、本件疾病に関する医師の判断内容は、別紙(二)(略)記載のとおりであり、浦和民主診療所整形外科の松本光正医師が業務起因性を肯定する判断をしているのに対して、他の医師は業務起因性に疑問を呈し、又は否定的な判断をしており、東京都立荏原病院の山崎典郎医師も、(証拠略)及び証言において本件疾病を「五十肩」と推認し業務起因性を否定している。
2 原告は、本件に関するこれらの医師の医学的所見のうち、浦和民主診療所の松本光正医師の所見を除いては、いずれも数か月以上たって原告の症状が軽くなった後に、一回だけの診察に基づいてなされたものであるから、本件における判断の重要な資料とするに適さない、と主張し、また、山崎典郎医師の判断は被告による業務量に関する事実誤認の資料をもとにしている、と批難する。
3 被告は、原告自身が本件疾病について数か所の医師の診断を受けているのであるから、業務起因性の有無について公正、適正な判断をするためには各医師の医学上の意見を斟酌するのは当然のことである、と主張する。
そして、原告自身が、「昭和五二年ころ組立課に配置換えになって以来六年余ボールペン等の組立作業に従事していたが、本件以前にも肩の痛みはしばしばおきたものの、よくあったことで気にしていなかった。」と申述していること、原告の病訴が左肩の疼痛と運動制限を主とするものであること、原告には加齢による頸椎の退行変性が認められること、業務に過重性が認められないことなどから、本件疾病は、「変形性頸椎症、左肩関節周囲炎」、いわゆる「五十肩」であるとみられる旨主張する。
第四争点に対する判断
一 原告の業務内容と本件疾病の発症経過等について、争いのない事実、証拠(<証拠略>、原告本人、弁論の全趣旨)によると、次の事実が認められる。
1 原告が就いていた業務は、多品種少量生産体制にある職場でのボールペン等の組立、修理、検査等の業務であるが、勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時までの実働七時間三五分である。
原告の出勤日数は昭和五八年一一月は二〇日間(同僚の平均値は二二・五日間)、同年一〇月は一三日(同僚の平均値は二〇日間)、同年九月は二〇日間(同僚の平均値は二一・五日間)、同年八月は一三日間(同僚の平均値は一七・五日間)であり、この間、時間外勤務はない。
2 ボールペンやシャープペンシル等の組立工程は、大別すれば、繰り出し構成部分、胴部分、キャップ部分の各組立工程に分けることができる。組立作業は当該製品を概ね完成させるまでのほぼ全工程を行う場合もあるが、それに至る各部分を組み立てる各別の作業を担当することが多い。本件で問題となっているクリップ接着、天ビス接着の各作業は、キャップ部分の組立工程の一つである。
一般に組立作業は、まず、担当工程長から、容器(箱)に整然と入った一ロット(五〇〇個あるいは一〇〇〇個)の材料部品を受領し、作業に必要な冶工具等を用意し、自分の作業台(机・高さ約七四センチメートル、調整可能)において、椅子(高さ約四四センチメートル、調整可能)に座って、机上で右部分を所定の規格に組み立てる作業が中心である。
クリップ接着の作業は、一般的には、容器(箱)に入った部品(ボールペンのキャップ)を左手の示指と母指とで摘んで一個取り出し、これを作業台に立てて左手で保持し、その頭部に右手で接着剤をつけ、その上に右手でクリップを乗せ、そのクリップが動かないように左手で持ち直し、右手でその上を木槌でたたいて接着した上で、前記の容器に納める作業で、これを繰り返すことになる。
天ビス接着の作業も右と同様で、部品を左手で保持しながら、右手で接着剤をつけ、天ビスをつけて右手で締め付け、あるいは圧入することの繰り返しである。
これらの作業の際、右利きの作業者の場合、部品の取り付け等の主作業は右手で行い、左手では、部品を取る動作と主作業に際して部品を保持する動作とを行う。その際の左手の状態は、容器からの取り出し動作と容器に戻す動作の際には一時的に挙上状態になることがあっても、部品の取り付け等に際しての保持動作の際には、空間に挙上したままで行ったのでは安定を欠くため、軽く前腕を机上にあてがって支えるのが通常である。
職場環境には、特別問題となる点は見当たらない。
3 原告は、昭和五八年一一月中には両腕のだるさ、左肩の痛みが出現していたところ、同年一二月一日午前一〇時ころ、クリップ接着の作業中左肩の腕の付け根の部分が痛みだし、作業を続けるうち左上腕の痺れ感が強くなり作業を続けられない状態となった。そのため、原告は、上司に話して早退し、同月二日から同月四日まで三日間休養したが、その間、同月三日午後自宅において毛布を片付けようとして持ち上げた瞬間強い痛みを感じ、左腕を上下することによる局部的な痛みがその後も続いた。そこで、原告は、同月五日、埼玉県浦和市にある浦和民主診療所整形外科で受診し、松本正光医師から「左上腕二頭筋長頭腱腱炎」と診断され、「仕事から離れて休養するように」と言われて、休業した(同診療所では昭和五八年一二月五日から昭和五九年二月一五日までの間には診療実日数六日)。原告は、休業後昭和五八年一二月九日に出社してクリップ接着の作業をしてみたが、痛みが続いたため、翌日、前日からの継続のクリップ接着作業が終わった後は、天ビス接着の作業をし(肩関節痛は軽減したと浦和民主診療所で申告している。)、同月一三日午後から同月一九日までは、クリップ天ビス接着の作業を中心にしていたが、同月二〇日以降は概ね別の作業をするようになり、翌年は一月七日から出勤してクリップ天ビス接着の作業を始めたが、数日で他の作業をするようになり、二月下旬からは浦和民主診療所の医師の指示を受けて作業担当を変えてもらい、箱詰め作業等をするようになった。
4 原告が他の医師を受診した経過は次のとおりである。
原告は、同年二月六日、かつて診療を受けたことがある東京都渋谷区内の財団法人勤労者医療会代々木病院を受診した。同病院では、青柳晶彦医師により「左関節周囲炎」と診断された。この間、プラチナ萬年筆株式会社は、原告から、発症を労災として扱ってほしいとの申し出を受け、原告に対し同社産業医である社会保険鶯谷診療所での受診を求め、原告は、同年一月二九日、同診療所で受診したが、同診療所の田中俊彦医師は、原告の症状につき、「変形性頸椎症、左肩関節周囲炎」と診断したものの、その業務起因性については明確な判断ができなかった。そこで、さらに、原告は、同年二月二九日、同勤務先の指示により東京厚生年金病院で受診し、南光彦医師により「左肩関節変形性頸椎症、左肩周囲炎」と診断された。
この間の原告の病訴及び所見には次のような変化があった。すなわち、当初の浦和民主診療所では左肩関節から左上腕の痛みを訴え、左肩、上腕二頭筋長頭腱溝に圧痛が認められた。代々木病院では左肩関節の疼痛及び運動制限を訴えた。社会保険鶯谷診療所では、各種検査をしたが、三角筋の一局所に圧痛が認められただけであった。東京厚生年金病院では、当初一週間の休養で疼痛は消失したが、すぐに左上腕三頭筋の筋痛が出現したと訴え、左上腕三頭筋起始部に圧痛が認められた。
二 ところで、労働者災害補償保険法一二条の八第二項は、業務災害に関する保険給付について、労働基準法に規定する災害補償の事由が生じた場合に行う旨定めているところ、労働基準法七五条一項は、「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合においては、使用者は、その費用で必要な療養を行い、又は必要な療養の費用を負担しなければならない。」と定め、同条二項は、右の業務上の疾病について命令で定めるものとしており、これを受けた同法施行規則三五条別表第一の二が右の具体的内容を明らかにしている。そのうち、本件で問題になるものは、第三号の「身体に過度の負担のかかる作業態様に起因する疾病」のうち4の「上肢に過度の負担のかかる業務による手指の痙攣、手指、前腕等の腱、腱鞘若しくは腱周囲の炎症又は頸肩腕症候群」及び第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」である。
そして、前者については、昭和五〇年二月五日付け基発第五九号通達(解説部分を含む。)が、上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯も含む。)を過度に使用する作業に基づく疾病につき、医学的知見に基づき、別紙(三)(略)のような業務上外の実務上の認定基準を示している(<証拠略>。ただし、原告の病訴〔肩の痛み、痺れ〕に無関係のものは除外してある。なお、本件においては、業務起因性判断に際して、右基準以外に医学的にも適切とみられるべき特段の知見を示す証拠はない。)。
三 原告の疾病についてみるに、別紙(二)(略)の各医師の判断に照らすと、それは左上腕二頭筋長頭腱々炎又は左肩関節周囲炎、変形性頸椎症と認められる。しかしながら、そこに掲記の証拠を総合しても、本件疾病の発症原因は医学的には必ずしも明らかでない。
浦和民主診療所整形外科の松本光正医師は、本件疾病の発症の発症原因を原告の就いていた業務とみているが、他の医師はいずれも、本件疾病の業務起因性について、疑問を呈し、あるいは否定的見解を示しており、これらの見解を総合して検討してみると、以下のとおり、本件疾病が業務に起因するものと認めることが医学的に相当であると断ずることはできないと考えられる。
1 浦和民主診療所整形外科松本光正医師の診断は「左上腕二頭筋長頭腱々炎」であるが、同医師は、「肩屈曲、肘伸展と肩伸展、肘屈曲とを繰り返す動作を一日何千回もやることで発症したと考える。また、安静にて軽減することからも上記を確信するに至ると考える。」という判断を示している。しかし、(証拠略)(同診療所整形外科佐藤雅史医師作成の平成四年三月一八日付け診断書)を総合して検討すると、右の判断は作業に関する原告自らの過重性評価を含んだ申告に基づいてなされたものと解され、その判断のみによっては、本件疾病と原告の業務との因果関係を結論するに足りるものとはいえない。他面、同医師の所見中にも、関連疾病等に関する所見として、レントゲンで、第三、第四頸椎の後方すべり三ミリメートルが認められている。
2 これに対し、社会保険鶯谷診療所田中俊彦医師の診断は、「変形性頸椎症、左肩関節周囲炎」であり、同医師は、原告の「組立業務(四年間している。)を発病前、終日一か月間していた(他の人達は断続していた。)。昭和五八年一一月下旬から軽い痛みがあったが、一二月一日、左肩関節の局所的に激痛が発生したので、午後から中退した。金曜日から日曜日まで休養して、月曜日に浦和民主診療所を受診した。」という原告の病訴を前提として、「もし、終日休憩もしないで、上肢を挙上する業務を一か月も続けたのなら、業務上の肩頸腕障害(症候群)をおこす可能性を否定できない。」としながらも、他の従業員が断続的業務に就いていたのに対して原告は連続的業務に就いていたという原告の説明について実態が明確でないこと、三角筋の一局所に圧痛を認めたのみという他覚的所見が病訴に必ずしも一致しないこと、他医が「左上腕二頭筋長頭腱々炎」、「変形性頸椎症、左肩関節周囲炎」と診断して生活指導をしており、仕事との関連性ははっきりしないし、「仕事の内容、日頃の勤務状態、職場の環境等を勘案したり、業務を軽減して経過をみている限りでは、発病原因が業務上か判別しにくい。」と判断している。
3 また、代々木病院青柳晶彦医師は、左肩関節の疼痛及び運動制限(夜間が激しい)という原告の病訴と左肩関節:側挙九〇度、後挙四五度にて疼痛()という他覚的所見を前提として、「肩関節周囲炎の発症の一要因として作業内容、環境が関連していないとは断定できない。」としつつも、他覚的所見と病訴との相関については、「直ちに相関する所見はない。」とし、「左肩関節周囲炎」と診断している。
4 次に、東京厚生年金病院南光彦医師の診断は、「左肩関節変形性頸椎症、左肩周囲炎」である。原告医師の診察を受けた際の原告の病訴は、「昭和五八年一二月一日筆記具組立関係作業中、左肩部痛を訴える。『左上腕二頭筋長頭腱々炎』の診断を受け、局所安静を命ぜられる。湿布施行。一週間の欠勤で疼痛は消失するが、すぐ左上腕三頭筋の筋痛出現する。軽減はしているが、当院初診まで続いている。その間、別の医師受診。振る運動等の運動療法の指示を受ける(以上、本人陳述)。初診時主訴は、左上肢挙上で左上腕三頭筋痛がある。」というものであり、こうした病訴と、「頸椎部:視診正。両側方屈不撓性あり。叩打、圧痛はない。前斜角筋部の圧通なし。放散痛もない。上肢反射正常、知覚異常なし。左肩関節部:視診正。運動正。肩甲上部、上腕三頭筋起始部に圧痛あり。筋の萎縮は認められない。」という他覚的所見との間には、「直ちに相関する所見はない。」とし、なお、「主訴の左上腕三頭筋部起始部に他覚的に圧痛をみるが、昭和五八年一二月の主訴である左上腕二頭筋痛消失後、左上腕三頭筋痛を訴えており、主訴が変化している。」ことを指摘している。そして、関連疾病等についての所見として、レ線上極めて軽度の頸椎々体の変形があり、「変形性頸椎症」と診断し、発病原因についての医学的意見としては、「詳細不明につき言及できない。」としている。
5 さらに、その後、被告において東京労働基準局医員(順天堂伊豆長岡病院医師)井上幸雄医師の判断を求めたところ、同医師は、「左肩関節痛は所謂肩関節周囲炎(五十肩症候群)で、年齢的にも発症し易い年齢である。又、調査の結果、業務過重も認められないので、業務外と考えます。」との判断を示しており、東京都立荏原病院山崎典郎医師も、疾病名を「左上腕二頭筋長頭腱々炎」とし、原告の業務態様につき「肩関節にさほどの負荷がかかるとは思えない」とし、この業務態様からして左上腕二頭筋長頭腱々炎は考えられない、と判断しており、また、労務の過重性がないとの前提にたって、いずれの点からも「業務上の認定基準は充たされておらず、年齢的にいわゆる五十肩発症の年齢でもあり、この素因によるものと推認される。頸椎変形性変化も年齢的なものであり、業務との関係はない。」との判断を示している。
6 ところで、(証拠・人証略)によると、いわゆる「五十肩」ないしは「肩関節周囲炎」、「上腕二頭筋長頭腱々炎」といわれるものの本態について、次のような医学的知見が認められる。
すなわち、俗に「五十肩」といわれるものは、四〇ないし五〇歳くらいのときに、一時的に肩が痛み、制動に障害をきたすものを指している。その本態に対する追究が続けられているが、いまだ定説がない。その本態に関する考え方には、大きく分けて四説あり、その一は、肩峰下包に原因があるとする説、その二は、上腕二頭筋長頭腱々鞘に原因があるとする説、その三は、肩腱板に原因があるとする説、その四は、関節包の炎症を主原因とみる説であり、その他、肩手症候群と捉える説もある。そのうち、第三説は、まず腱板に加齢による退行変性が起こり、周囲の腱が血行に乏しければ何の症状もなしに経過するが、血行が十分なときは炎症性反応として充血と腫脹が起こる、この充血と腫脹が局所的なものであれば、局所に有痛弧肩又は有痛性石灰沈着を起こすし、充血と腫脹が局在的なものでないときは炎症が広がって凍結肩となる、血行の再建が得られれば、機能は回復し、正常に戻るが、適当な血行の再建が得られなければ、永久の機能障害が残る、というもので、比較的多くの手術例に基づくものとして妥当視する見解もある。それが「左肩関節周囲炎」と同じものであるかどうかについては従来から議論のあるところであるが、これを肯定する見解の一は、左肩関節周囲炎の根底には加齢による退行変性があり、この変性に対する周囲組織の反応が原因となって病態を生じるものと解している。同説は、現在の肩関節周囲炎の病変を<1>supra-humeral gliding mechanismsと<2>biceps tendon sheath mechanismsに大別されるとしている。そして、<1>については、肩関節は、rotator cuffという強力な筋、腱及び靱帯の苞に包まれており、それが肩関節の安定性を保っているが、そのうちとくに棘上筋腱の退行変性による炎症性反応が原因となって病像が成立すると説明され、それは前記第三の説に相当する、<2>については、上腕二頭筋腱の長頭は、上筋骨の大結節と小結節との間の溝を通っているが、この溝における退行変性に陥った腱の摩擦による炎症のために疼痛が起こり、とくに、前方挙上及び後方挙上に際しての収縮及び伸展による疼痛を生じると説明され、それは前記第二の説に相当する、としている。要するに、肩関節周囲炎すなわちいわゆる五十肩は、加齢現象による組織の退行変性によって起こる疾病であり、上腕二頭筋長頭腱と肩板の各組織にかかわるものに大きく分けることができ、おのおの痛みの箇所が異なる。
7 そして、証人山崎典郎の証言によると、本件で各医師が指摘している所見及び診断内容並びに本件において原告が述べる「発症後二、三か月の間に痛みは大体治まった。その後はだるさが残り、肘を挙上していると痛みが再発する。」といった症状は、いずれもいわゆる五十肩として理解できることが認められる。
8 なお、右山崎典郎医師が、本件疾病を左上腕二頭筋長頭腱々炎とみて、その業務起因性を否定している点について、原告は、同医師が本件業務起因性を否定する根拠となった業務過重性についての認識は被告による事実誤認の資料に基づいているとして、これを批難する。
なるほど、同証言によると、同証人の原告の業務量についての認識は、本件で提出されている(証拠略)を中心とすることが認められ、同医師作成の「労務の過重性はなく、かえって他人よりも少ない由である。」との記載に照らすと、(証拠略)作成当時の同医師の認識内容が「原告の業務量は同僚の二分の一あるいは三分の一でしかない。」などの認定をもとにしていることが窺われる。しかしながら、(証拠・人証略)によると、同医師が本件の業務起因性を否定した判断の根拠は、業務の過重性がないという点のみではなく、業務態様に関する医学的知見にも基づいているものと認められる。すなわち、右証拠によると、「業務態様は、確かに手を使う作業ではあるけれども、肩関節まで大きく動かして行う仕事ではなく、また、多種目作業であって空間に長時間その肢位を保つものではなく、肩関節に負荷がかかるとは思えない。断続的に左腕を空間に保持して移動し、一時机上に固定するという繰り返し作業の場合、左手で持つ物の重量が重ければ疾病に関係する負荷となり得るが、ボールペンの部品程度の軽いものの場合には当該疾病を惹起するほどの負荷になるとは考えにくい。」というのであり、この医学的知見に直接疑問を差し狭むべき証拠はない。
四 一方、以上のような証拠関係を総合すると、なるほど一面において、原告の就いていた業務の態様がおよそ本件疾病の原因となることが考えられないとまではいえないであろう。証人山崎典郎も、左腕をほとんど常時空間に浮かせている肢位の状態を保っていたのであれば、業務とのかかわりも考えられるかのようにも証言しているところであり、他の医師らの判断も、本件疾病の発症が業務と関連がないと断定するものではなく、作業が関連している可能性自体はこれを肯定するものが多いことは確かである。しかしながら、業務起因性を肯認するためには、まずは、行っていた作業と疾病の間に医学的にも裏付け得る相当な因果関係が積極的に認められることが必要であり、単にその可能性があり得るという程度では足りないものといわなければならない。浦和民主診療所整形外科の松本光正医師の判断については、それが、職場における業務の態様と業務量とを客観的に把握した上で具体的に考量してなされた判断であると認めるに足りる証拠はなく、むしろ、前記のように原告自身の過重だという業務に関する概括的申述に基づいてなされた判断であることが窺われるから、それのみによって右相当因果関係を肯定することはできないのであり、他の医師の見解や右認定の医学的知見に照らすと、原告が行っていた作業と疾病の間には、単に発症もあり得るという抽象的可能性の程度を超えて、医学的にも裏付け得る相当な因果関係が積極的に認められるとまでは断じ得ない。
五 他方、原告の業務量の側面から、原告の業務に本件疾病を惹起するような過重性が認められるかどうかについて検討しても、以下のとおりこれを肯認することは困難である。
すなわち、前記二の基準に従って検討してみるのに、原告の発症直近の業務量に大きな波があった事実を認めるに足りる証拠はなく、むしろ、原告本人の供述によっても、また、(証拠略)の原告の作業日報によっても、原告は稼動日には概ね毎日同程度の仕事を特段の変動なく行っていたものと認められるから、業務の過重性に関する基準3のうちで本件で問題となり得るものは(一)のみである。そこで、原告に最も近似する作業をしていた同一の職場の労働者である徳田及び高橋との関係で業務量を比較して検討する。
1 まず、原告が昭和五八年一一月中に行った作業数量について判断する。
(一) 原告の作業日報(<証拠略>)に記載されている昭和五八年一一月二六日の「備考欄」に「約四〇〇」という数字が追加記載されている点については、なるほど被告に提出された原資料(<証拠略>)にはその記載がなく原告本人尋問の結果によると、本件訴訟提起後に記載されたことが認められる。しかし、一方(証拠略)、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、同作業日報の記載方法は、「月日」欄記載の日に「数量」欄記載の個数の材料部品を受け取って「着手時」記載の時刻に作業に着手し、当日の作業を終えた「終了時」記載の時刻に受け取っていたものが全部済んだときは「継・済」の欄に「済」と記載し、残りのある場合には、次の作業日に継続するという意味で「継」と記載するというものであること、原告の作業日報の記載を通覧すると、クリップ接着については概ね七時間程度で一〇〇〇個の作業を終了していることが認められるところ、(証拠略)、原告本人尋問の結果によると、原告は、同日受け取った部品一〇〇〇個の作業中、特注クリップ接着の仕事を命ぜられたため、部品の混同を避けるため、それまでやっていたクリップ接着の作業を他の者に任せたこと、それまでの作業に要した時間は三時間一五分であったこと、この時間は、七時間程度で一〇〇〇個の作業をしていたことからすると概ね四〇〇個以上に見合うものであることが認められる。右事実によれば、このとき約四〇〇のクリップ接着作業を済ませていたので、後に「備考」欄に「約四〇〇」と記載したという原告の説明は措信し得るものというべきであり、クリップ接着約四〇〇個を全体の数量に算入すべきものと解される。
(二) そうすると、この期間内の原告のクリップ接着の作業数量は、原告主張の約一万二四〇〇個に、マーク及び色が違うだけで作業内容は他の同じである特注クリップ接着一四〇〇個を加えた約一万三八〇〇個と認められる。
2 次に、同月中の原告の作業量と同僚の作業量との比較について検討する。
(一) 原告は、Bライン製品のクリップ接着と天ビス接着の作業が問題であるとして、それのみを取り出して一日平均の作業数量を同僚と比較すべきであると主張するが、前記のとおり、徳田倉三も高橋利男もこの期間内には他の種類の作業も行っていたのであるから、これらの作業を除外して比較するのを相当とする根拠はない。
(二) ところで、原告は、被告が各人の作業個数合計を単純に比較して原告の業務量が少なかったとするのを批難しており、なるほど、腕や肩に対する負荷の多寡を比較するためには、当該の作業による負荷の程度を客観的に把握し得る何らかの基準が設定できることが望ましいことは確かである。しかし、中村宗達からの事情聴取書である(証拠略)によると、たとえば、「組立」といっても作業量の少ない簡単なものから工程の多いものまで様々な種類のものがあること、さらに、作業日報は、成績評価、考課査定には使用しておらず、単に標準作業時間を割り出す際の参考程度にされたものにすぎず、それへの記入方法については会社からの明確な具体的指示はなく、各人に任されていたこと、そのため、具体的な記載方法はまちまちであって、たとえば、単に「組立」と記載してあっても、胴部分の組立、キャップ部分の組立など多種のものがあり、相互の比較は極めて困難であることが認められる。そして、(証拠略)、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、職場において行われている各種作業の内容は様々であることが認められ、腕や肩に対する負荷の程度を正確に相互に換算し得る客観的基準を見いだすことは困難である。この点につき、原告本人は、「工程数」あるいは「動作数」という基準を作って比較することができると供述するが、その基準が負荷の程度を比較するために適切で、本件疾病との因果関係を判断するために医学的にみても妥当性をもつ基準であることを肯認することのできるだけの裏付けは何もない(なお、原告自身が、左肩への負担のかかり方にとくに関係なく、とにかく一回手なり腕なりを動かしたのを一工程、一動作と計算している旨供述している部分もある。)。
(三) なお、原告の供述する換算方式は別表(二)のとおりであり、仮にそのとおりに換算してみても、原告の直近一か月間の業務量が過重であったと認められる関係には必ずしもない。
すなわち、前示の作業数量に原告供述の換算値をそれぞれ乗じて計算すると、原告が概ね九万七六〇〇、徳田が概ね九万一四〇〇ないし九万一八二〇、高橋が概ね九万一〇六〇ないし一〇万一六五〇となることが計算上明らかである(原告の作業内容には、別表(二)記載のもののほか、「修理」があり、高橋の作業内容には「クリップ天ビス圧入接着」、「圧入」というものがある。原告の「修理」は(証拠略)によると、一一月二九日に五個を四〇分間で行ったものにすぎず、比較計算上とくに重要な意味をもつものとは解し得ないので除外し、高橋の「圧入」については本件証拠上何を意味するか不明であり、原告も換算方法は分からないとしているので除外し、また、「クリップ天ビス圧入接着」についてはクリップ接着と天ビス接着とを併せて記載したものとみて一応計算してみる。そうすると、原告の場合は、クリップ接着八万二八〇〇〔一万三八〇〇×6〕、天ビス接着一万三八〇〇〔四六〇〇×3〕、からぶき外観検査一〇〇〇〔一〇〇〇×1〕の合計九万七六〇〇となり、このほかは五個について四〇分ほどかかった修理があることになり、徳田の場合は、クリップ接着七万六九二〇〔一万二八二〇個×6〕、天ビス接着四八〇〇〔一六〇〇×3〕、サヤネジバリ取り四〇〇〔二〇〇〇×1/5〕、中ザヤ圧入六〇〇〇〔三〇〇〇×2〕、胴サヤ嵌合五〇〇〔五〇〇×1〕、シール貼り一〇〇〇〔一〇〇〇×1〕、シリコンふき五〇〇個〔五〇〇×1〕、からふき五〇〇〔五〇〇×1〕、ノック検査五〇〇個〔五〇〇×1〕、サヤネジリーマ通し二八〇ないし七〇〇〔一四〇〇×1/5~1/2〕の合計九万一四〇〇ないし九万一八二〇となり、高橋の場合は、クリップ接着七万〇八〇〇〔一万一八〇〇×6〕、天ビス接着七八〇〇〔二六〇〇×3〕、リーマ通し七〇六〇ないし一万七六五〇〔三万五三〇〇×1/5~1/2〕、クリップ天ビス圧入接着五四〇〇〔六〇〇×9〕の合計九万一〇六〇ないし一〇万一六五〇となり、このほかに圧入一〇〇〇個と天ビス接着、雑用三時間一〇分があることになる。)。このようにみると、原告の業務量は原告自身の供述する基準に仮に従ってみても、一か月間では徳田より数パーセント程度多いだけで、一〇パーセントには達しないし、高橋とはさらにその差が少なく、あるいは高橋の方が多かったことになるのであって、原告の業務が過重であったとはいえない。
(四) さらに、原告は出勤日数で除した一日当たりの作業量で比較すべきで、そうすると原告の方がはるか多量の作業をしていたことになると主張するが、原告の主張する計算には、そもそも前提となる作業量について徳田、高橋が行っていた別種の作業が算入されていないばかりでなく、原告供述の換算方法の妥当性自体に疑問があることは前記のとおりである。また、原告は、困難な仕事を原告ならばできるとして専ら担当させられていたと自己の熟練度を強調しており、仮に原告の述べるように他の者が通常五〇〇とか八〇〇とか作業する間に熟練度の高い原告は一〇〇〇の作業ができていたというのであれば、原告は他の者の二五パーセント以上の仕事を通常からしていたことになるのであって、そこまでの差のない本件当時の作業量が原告にとって過重な負荷になるということは考えられないことになる。さらに、同年一一月の三〇日間中、徳田と高橋はいずれも二二日間出勤し、休日は八日間であるのに対して、原告は出勤は一八日間にすぎず、休日が一二日間であったのであって、休養の程度の点からも負荷の程度が原告の方が高かったとは考えにくい。
(五) 原告は、かつての労災事故による後遺障害として左示指の先端が硬く、肉が薄くなっており、その障害のために左肘を上げた姿勢をとらないと容器(箱)内の部品を取り出すことができず、それが左肩に特別の負担を生ぜしめた、このように左の肘が上がった不自然な姿勢で連日多量の作業を繰り返していたことが本件の発症の主たる原因である。と自己の特殊個別的な要因が考慮されるべきであると主張しており、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、なるほど原告の左示指の先端が薄くなっていることが認められ、また、(証拠略)の同僚の写真と(証拠略)の原告の写真とを対比すると、部品を容器の箱から取り出そうとしている原告の姿勢は左肘を高く保持している様子を看取することができる。
この主張に関し、中村宗達からの事情聴取書である(証拠略)には、本件に関する調査の際に、被告の調査官が原告のその姿勢を指摘したために、そのことが原告の意識に残り、あたかも、原告が平素の業務の中では実際にはそのような不自然な姿勢をしていなかったのに、そうしていたかのように思い込んでいるのではないかという推測を述べている箇所がある。そのような推測の妥当性は暫く措き、原告の供述によると、左肘を挙上したままで部品を容器(箱)から取り出すというかなり不自然な姿勢をとらざるを得なかった理由は、左手を容器の箱に対して垂直の方向からあてがって摘まないと部品を容易に取り出すことができないからだというのである。そうだとすると、容器の箱を斜めに置くことによって、その問題は解消されるわけであって、現に、(証拠略)の写真に撮影されている同僚の作業状況は、容器の箱を机上で蓋の縁に乗せて傾斜させることによって、容器から部品を取り出し易くしており、肘を上げたままで作業するという不自然な姿勢をことさらとる必要がないことが認められる。原告は、右同僚のようにしていないことについて、容器を傾斜させて置くと左手で掴み取ろうとして力を入れることで容器の箱が前方に動いてずれていってしまう、と供述するが、(証拠略)に顕れている職場の作業台の状況からすると、容器の箱を傾斜させて固定する簡易な方法はいくらでも考えられることである。業務起因性の存否は、当該業務に内在する、あるいは通常随伴する労働者の健康に対する有害な危険要因を客観的に考察して、当該業務と当該疾病との間に相当因果関係が認められるかどうかによって判断すべきものであると解されるから、当該労働者が自分の選択判断で通常の作業者と異なった負荷の大きい特殊な作業方法をとった場合に、それが主たる原因となって疾病を生じたとしても、相当因果関係の範囲から逸脱して発生した結果とみざるを得ず、業務起因性は認められないというほかはない。とくに、原告の場合、それ以前から肩の痛み等もしばしばあって、肩が弱いことをいわば自己の弱点のように捉えていたものとも解されるから、そうであるとすれば、原告の供述するような特殊な不自然な姿勢をとることは避けるのが当然であって、仮に原告が自らそのような姿勢をとった結果として発症に至ったと仮定しても、そのような特殊個別的な要因を業務起因性の判断に際して積極的要素として考慮に入れることはできない。このことは、原告の左示指の状態が仮に過去の労災事故に起因すると仮定しても、その状態と本件発症との間に蓋然性のある繋がりが認められない以上同断である。
3 次いで、右よりさらに長期間の作業量について検討する。
(一) 原告は、発症前一年間でみた場合の同僚と原告の比較として、作業個数が原告に比べて著しく多い栗原建蔵が行った作業の内容は、「組立」作業が少なく、負荷の低いものが多かった、これに対して、自分の行った作業に多かった「組立」は他の作業の少なくとも一〇倍の動作を要し、その負荷も一〇倍であったと主張し、なお、「返品修理」も他の作業の五倍の負荷をもたらすとして別表(一)(略)の計算を示している。そして、原告は、「組立」作業の例として別表(一)記載の乙製品を上げ、前記のような「動作数」、「工程数」という基準をつかって、それぞれの作業についての数値を供述しているが、右の供述はかなり感覚的な内容のものにすぎず、問題の疾病との関係での腕ないし肩に対する負荷の程度を比較するのに妥当な基準と解するだけの根拠に乏しい。そして、(証拠略)によると、本件疾病発症前一年間の作業の内容は全体では五十数種目にも分かれており(なお、これらの中には相互に重複していると解する余地のあるものや一方が他方を包摂しているとみられる関係にあるものも含まれているが、その点は措く。)、それが多様な動作を内容とする多様な種目の作業であることは明白である。このような多様な種目のうちでとくに自己が担当することの多かった「組立」と「返品修理」だけに大きな倍率をかけ、「組立」が一〇倍、「返品修理」が五倍とするのが、本件疾病の発症にかかわる負荷の程度の基準として、医学的にみても相当な基準といえることを認めるに足りる証拠はない。
(二) さらに、業務による負荷の程度に関する原告の主張自体に照らして考えてみても、原告としては、直近一か月間の業務の状況よりもそれ以前の方が大きな負荷があった、逆にいえば、直近一か月の方が負担が軽かった、と主張するわけではないと解されるのであり、直近一か月間の業務による負荷の程度が前記のように過重ではないと判断される以上、それ以前の業務による負荷がこれを超える負担を生ぜしめた過重性を有し、本件疾病の有力な原因をなしたものとは考えにくい。
六 以上のとおり、本件疾病に関する各医師の判断内容を検討してみても、また、原告の担当していた業務の態様及び業務量について検討してみても、本件疾病と業務との相当因果関係を断定するには至らない。
よって、原告の請求は理由がないというほかはない。
(裁判官 松本光一郎)